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踊り解説

備中たかはし松山踊り

松山踊りは、地踊りと仕組み踊りがある。
地踊りは慶安元年(1648年)頃からはじまったといわれており、仕組み踊りは延享元年(1744年)頃から始まったといわれている。

地踊り(松山踊り)

備中たかはし松山踊り

慶安元年といえば、備中松山城主は水谷勝隆の頃である。農家の五穀豊穣を祈願し、町家の繁栄を祝ったのにはじまったという。
昔は、特定の踊り手が扮装して踊っていたが、後に一般の者も踊るようになった。
昭和30年前後には、まだ四斗樽の上で番傘をさした音頭とりが片手に扇子を持ち、身体を左右に振ってリズムをとって唄えば、踊り子たちは編笠に浴衣、白足袋姿で音頭とりをとりまいて輪をつくり、夜を明かして踊ったものである。

仕組踊り

仕組踊り

延享元年伊勢の亀山から移封された、城主板倉勝澄が武士たちに習わせ、城中の酒宴で踊ったことにはじまったといわれる。
音頭と踊りは尚武的なものを題材に迸んで演じたといわれる。武家の子女は地踊りを見ることを許されず、武士達が数人の組をつくって矢場などで踊る仕組踊りを観賞したといわれている。

仕組踊り

毎年8月14日から16日の盆踊り期間中には、地踊りは高梁駅前大通りで、仕組踊りは数組が街中に設けられた指定踊り場でそれぞれ違った踊りを披露する。

県下三大踊りの一つとして、数万人の人手でにぎわいます。