江戸時代、老中首座板倉勝静を藩主と仰ぐ備中松山藩では、荻野流、澤田流、武衛流により砲術を練磨していたが、後にそれらの長所をとり備中松山藩御家流として統一し、その砲術とすぐれた陣備は全国に名を馳せていた。
その歴史を保存研究するとともに古式にのっとり、演武を行い旗指物等も幕末の現存するものを模倣・製作装備し優美で風格のある備中松山藩鉄砲組の再現を目指している。
備中松山藩鉄砲組は、平成14年2月岡山城鉄砲隊高梁分隊として発足いたしました。
岡山城鉄砲隊の歴史は古く岡山県甲胄愛好会の中に鉄砲隊があり、昭和58年に岡山城鉄砲隊として独立し、県内外のイベントで活躍しています。高梁分隊設立に付いては岡山城鉄砲隊ベテラン隊員を中心に分隊を組織、備中松山藩鉄砲組として、地元イベントに積極的に参加すると共に岡山城鉄砲隊の一員としても県内外のイベントに参加、古式砲術の保存啓蒙に努めています。
備中松山藩では現存する荻野流、澤田流、武衛流の長所を生かし備中松山藩御家流を創設、藩の正式武術とした。
備中松山藩鉄砲組は、嘉永2年(1849年)藩主板倉勝静の命により藩の元締役、吟味役に就任した山田方谷が翌3年藩政改革を断行、嘉永5年郡奉行の兼帯を期に庄屋の子弟を中心に理正隊を結成、神官・猟師・農民からなる鉄砲隊は1200名となり藩兵400名を加えたその規模は20万石の大大名にも匹敵しました。
桔梗河原で行う調練を見た久坂玄端が感嘆、後の長州奇兵隊の設立の手本となったと言われています。元治元年第一次長州出兵に際し備中松山藩は先鋒隊として出兵しました。
現在の鉄砲組は当時の旗指物を復元使用しています。
年間15回前後演武・甲冑着付け体験に出演等しています。
一般社団法人 高梁市観光協会 TEL:0866-21-0461まで。
(火縄銃空砲演武をいたします。)