「方谷の道」十二碑は、高梁市の郷土の偉人・山田方谷の残した名言が刻まれた石碑で、城下町高梁の各地にある方谷ゆかりの地を散策しながら、方谷の思想を学ぶことができます。
- 距離:約6キロ
- 所要時間:2時間30分(石碑見学時間含む)
【山田方谷(やまだ ほうこく)とは?】
山田方谷は江戸時代末期から明治時代初期の陽明学者で備中松山藩士です。
子どものころから才覚にあふれ、佐藤一斎門下では佐久間象山と二傑とうたわれていました。帰藩後は財政難に陥っていた藩政を、藩主・板倉勝静(いたくら かつきよ)(江戸幕府最後の老中首座)のもと断行し大きな成功をおさめました。その噂は全国に伝わり、越後長岡藩の河井継之助なども方谷に師事し、自らの藩の藩政改革を成功に収めました。
大政奉還後、新政府から方谷に要職への出仕の話もありましたが、それを断り、後進の育成に尽力しました。
陽明学者でもある山田方谷は多くの名言を残しており、十二碑の第一碑である「至誠惻怛(しせいそくだつ)」はなかでも最も有名な言葉で、方谷の精神を表す名言です。
地元では「方谷さん」と呼ばれ、親しまれ、愛されています。
第一碑 至誠惻怛
まごころ(至誠)と、いたみ悲しむ心(惻怛)があれば、やさしく(仁)なれます。そして、目上にはまことを尽くし、目下にはいつくしみをもって接するのです。こころの持ち方をこうすれば物事をうまく運ぶことができると言います。つまり、この気持ちで生きることが、人としての基本であり、正しい道なのです。
第二碑 それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて、事の内に屈せず。
藩の中にとどまらず、日本全体を統治するものは、事を行うに当たっては、大局的な立場に立って全般の見通しをつけて行うべきであり目先の細かいことにとらわれてはならない。
第三碑 義を明らかにして利を図らず。
人として歩むべき正しい道(社会正義)を明らかにすることが大切で自分自身の利益(私利)のみを求めるべきでない。(公利は追及してよし)
第四碑 我が心に嫌なれば、人にもさせず。我が心に好めば、人にも及ぼす。
自分自身の心に嫌なことであれば、それを他の人にもさせない。自分自身の心に好ましく思うことであれば、それを他の人にも及ぶようにしなさい。
第五碑 天に順ふて人道を尽す。其道は大公のみ。至誠のみ。
天に従って人として行うべき道を一筋に歩む。その道は、利己的ではなく公正さをもって誠を尽す者だけが歩むことができるのである。
第六碑 友に求めて足らざれば、天下に求む。 天下に求めて足らざれば、古人に求む。
友人に尋ねて十分でなければ、世界の識者や書物に尋ねる。それでも十分でなければ、先人の事跡や書物に尋ねなさい。
第七碑 学業は、鉄を鍛うるが如し。一鍛、鍛えなば、休むべからず。
学業は、あたかも鉄を鍛えるようなものである。ひとたび鍛え始めたら、決して途中でやめてはいけない。
第八碑 総て学問は、存心、致知、力行の三つなり。
すべて、生活者・実践者が学び問い直すこと(学問)は、主体性を確保し、良知を発揮し、実践することである。
第九碑 分けてみよ。今は葎のしげるとも、中に直ぐなる道のありしを。
今は草むらが生い茂って混沌としていても(困難であっても)よくかき分けて見れば(きちんと見極めれば)、その中に真直ぐな(進むべき正しい)道が見つかるものである。
第十碑 誠心より出ずれば、敢へて多言を用いず。
誠の心から出たことについては、多くの言葉を必要としない。
第十一碑 学問の道は誠意のみ
学問をするには、正直な態度で接する心を持つこと。これがすべてである。
第十二碑 平天下
「平天下」という言葉の出典は、儒学における四書の一つ「大学」です。その中に、「八条目」と呼ばれる人生にとって大切な言葉(格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下)の最後に挙げられている言葉です。山田方谷が自分の人生の究極目標とした言葉です。天下が平和に治まっている状態を意味します。
番外 我が州の風土は本より雄豪。鉄気は山に籠り、山勢は高し。更に人心の剛なること鉄に似たる有り。錬磨して一たび就れば、刀よりも利し。
我が備中の風土は、雄大であり豪壮である。山は鉄気をはらんで高く険しい。こういう中に住む人々の気質も鉄に似て強くたくましい。だから鍛えあげると、剣よりも鋭い人物が生まれる。
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