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山田方谷(やまだほうこく)とは
山田方谷は江戸時代末期から明治時代初期の陽明学者で備中松山藩士です。
子どものころから神童と呼ばれるほど才覚にあふれ、佐藤一斎(さとういっさい)門下では佐久間象山(さくましょうざん)と二傑とうたわれていました。
帰藩後は財政難に陥っていた藩政を、藩主・板倉勝静(いたくらかつきよ)のもと断行し大きな成功をおさめました。その噂は電話もインターネットもない時代にもかかわらず全国に伝わり、越後長岡藩(現・新潟県長岡市)の河井継之助(かわいつぎのすけ)なども方谷に師事し、自らの藩の藩政改革を成功に収めました。また、のちに二松学舎大学を設立する三島中洲(みしまちゅうしゅう)や、大正天皇の侍講に任じられた川田甕江(かわたおうこう)なども方谷に師事した一人です。
大政奉還後は、新政府から要職への出仕の話もありましたが、それを断り、後進の育成に尽力しました。
陽明学者でもある山田方谷は多くの名言を残しており、「至誠惻怛(しせいそくだつ)」はなかでも最も有名な言葉で、方谷の精神を表す名言です。
数多くの功績を残した方谷は「備中聖人」とも称され、高梁市の偉人として今もなお尊敬されています。
■旬な高梁ブログより「山田方谷記事抜粋」
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